★★神戸の老舗ライブハウス神戸チキンジョージ40周年を応援しよう!

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先日5月25日(月)緊急事態宣言が全国的に解除されましたが、まだライブハウスなどの一部業態の事業者は現在も営業再開の見通しが立ってないところも全国的に多く、事業撤退や閉店などをせざるを得ない事業者も出ているなど厳しい状況が今も続いております。そのような状況の中、今年創業40周年を迎える神戸の老舗のライブハウスを応援するコラボTシャツ(間慎太郎×神戸チキンジョージ‬)の販売が現在行われています。

間慎太郎(はざましんたろう)さんとコラボの神戸チキンジョージ応援のTシャツ。黒と赤の2種類各サイズのラインナップですがもうすでに黒は完売の人気のTシャツです。


ちなみに間慎太郎さんは、あの間寛平(はざまかんぺい)さんの息子さんで、シンガーソングライターです。

このTシャツの売り上げは神戸チキンジョージに全額寄付されるとのことなので、記念すべき40周年神戸チキンジョージを皆様もTシャツ購入(完売必至の人気)で応援頂ければ幸いです。

ご購入はこちらからどうぞ!↓↓↓

https://hazamashop.thebase.in/

[Best_Wordpress_Gallery id=”229″ gal_title=”先海伊織 歌とトーク(ぼちぼちLIVE Vol15から)”]

こちらの映像作品は 2011年にHD(ハイビジョン)とデジタル録音で神戸チキンジョージ収録したものです。

すでにのSNS等で先行した動画したところ、ご覧になった皆様から、このコロナ禍の中とても癒されるなどありがたいお声を多数いただきましたのでこちらテレビ猪名川公式でもあらためて公開させていただきます。

「先海伊織 歌とトーク(ぼちぼちLIVE Vol15から)」 by テレビ猪名川 (収録時間14分49分)です。

こちらの作品はこの時からテレビ猪名川が制作関係がすべてHD収録化や機材をフルデジタルに更新を行った記念すべきライブ収録作品でした。

また昨年度(2019年)からこのクオリティー(映像&音声)で全国各地のイベント現場からのネット生配信(中継)・放送も可能となりました。

西田恵美子さん 先海伊織さん

ぼちぼちLIVEとは企画者・主催者の先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんが「阪神淡路大震災」直後から兵庫県出身の東京在住ミュージシャンが「神戸がんばーとーやんなっ!」を思いつつ「楽しもうやっ!」という言葉から始まったチャリティライブイベントで、毎年神戸の老舗ライブハウス「神戸チキンジョージ」で開催され、震災遺児支援事業を運営されている【あしなが育英会】様へに売上の一部を毎年寄附をされている20年以上も続いている素敵なイベントです。

[Best_Wordpress_Gallery id=”230″ gal_title=”ぼちぼちlIVE in CHICKEN GEORGE Vol.21 先録り情報”]

コチラはぼちぼちLIVE Vol21から( 2017年9月)

テレビ猪名川代表の誉田が1998年の第5回から当時ネットで先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんと出会い、今も毎年ライブ収録でテレビ猪名川が全面的に応援させていただいています。また、このライブ収録によりテレビ猪名川の機材増強や技術力レベルアップの勉強もさせていただくなど、テレビ猪名川のこれまでの成長を支えていただいた大切なイベントです。この神戸チキンジョージ様も現在、コロナ対策の自粛要請により長期にわたって休業をされておられますが、本来であれば今年は記念すべき創業40周年なのですが、今年も10月4日には「ぼちぼちLIVE Vol24」の開催が予定されていますので、早期にコロナ禍が収束し、予定通りチキンジョージ様の40周年のお祝いとあわせて開催できてればと心より祈っております。

(テレビ猪名川映像制作部)

#ぼちぼちLive  #神戸チキンジョージ #阪神淡路大震災 #あしなが育英会 #先海伊織 #西田恵美子 #テレビ猪名川 #ネット配信 #間慎太郎

 

★★テレビ猪名川創設もうすぐ30周年開設当時の独自サーバ配信作品などを振り返る

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インターネットテレビジョンの誉田 勝(こんだ まさる)です。平素は地域情報映像発信の弊サイト「テレビ猪名川コミュニケーションチャンネル」をご覧いただき誠にありがとうございます。

テレビ猪名川創設(前身の北摂ガイド時代含む)してから今年でおかげさまで28年目(実は娘の誕生が創設の前年)となります。昨年度2019年度、元職の某メーカーのサラリーマンの定年退職を期に個人事業として、映像によるセルフプロモーション支援&アーカイブス事業、そして映像配信サービス委託事業などあらたな事業をスタートしてもうすぐ創設30周年が目前となってきたところでしたが、予想外のコロナ禍で、多少出足をくじかれた感がありますが、今後強みであるこの長年培ってきた映像オンライン事業ノウハウを軸に皆様のお役に立てるように頑張ってまいりたいと思いますので何卒よろしくお願いいたします。

さて、今年2020年4月は動画配信サービスYouTubeが配信サービス(2005年4月~)を始めて15年となったようですが、弊インターネットテレビジョン「テレビ猪名川」が動画による地域情報発信を初めて行ったのは1992年からテレビ猪名川の前身サイト(北摂ガイドというサイト名で運営)池田市を本拠に活動するビデオクラブ北摂ビデオサークル(HVC)での作品公開を目的に行っていました。簡単に創設約30年(歴史?・あゆみ)を以下の通り振り返ってまいりたいと思います。

テレビ猪名川の動画配信の原点はこの「北摂ガイド」からでした。つまりテレビ猪名川が動画配信システム(自前の独自サーバを自宅内に構築)を使って配信を開始したのが、YouTubeに遡ること12年前でした。この頃には現在と比べ物とならないクオリティの動画でしたが、動画配信を先行して行っていたことになります。

当時はネットワークも今のような光やCATVインターネット等のブロードバンドネットワークもなく脆弱なネット環境(ADSLや通信モデムによるダイヤルアップ)でもインターネットでご覧いただけるよう小容量の動画ファイルで配信できるように工夫した配信システムです。

<サンテレビ映像リポーター時代の取材>

その後、「北摂ガイド」が本格的に『インターネットテレビジョンテレビ猪名川』という名称(現在のテレビ猪名川コミュニケーションチャンネル)に名称変更で開設するきっかけになったのは今から約30年前当時阪神淡路大震災(1995年(平成7)の前年1994(平成6)5月に神戸のサンテレビさんの番組の映像リポーターのお仕事を委嘱頂いたこと(兵庫県阪神地区担当)がきっかけとなります。

最初はサンテレビさんのニュース番組向けのエリア映像取材などをやらせていただきましたが、取材映像が必ず放送に使われるという保証はございません!せっかく取材させていただいたのにボツ!では取材させていただいた皆様にはとても申し訳ないとこちらは必ず放送をするとスタンスで保険のように始めたのがこのテレビ猪名川(1994年北摂ガイドから改名)なのです。

1994(平成6)年10月「まちかどビデオ通信局」(どんきほーて:太平かつみ、きびのだんご、大谷昌子)がスタート

このお仕事が無かったら、今の私が無かったと思う出来事。またこれがきっかけで色々な方々と出会い、そのつながりが私の大切な財産となりました。当時はある意味怖いもの知らずの突撃取材やリポートなど、番組スタジオ出演もやってました。とまたこの名刺も大切な懐かしい思い出の1枚。そのサンテレビさんもいよいよ来年ポートアイランドにある本社社屋から神戸駅前へ移転となるとのこと。時の流れを感じますね。

<懐かしい神戸まつり サンテレビ映像リポーターの頃>
1995年の阪神・淡路大震災の影響で、その年の第25回開催は中止となり翌年1996年7月20日が海の日として祝日になったことから、神戸まつりはこの日を中心とした開催に移動した。その再開したばかりの神戸まつりのメインフェスティバルの(三宮)各会場の取材をサンテレビ映像リポーターとして担当させていただいた時の写真です。もう今から24年前の(私が37歳)懐かしい写真です。 ※写真撮影提供 サンテレビジョン

自宅内に設置した当時のテレビ猪名川放送センター機器群 テレビ猪名川のネット配信の心臓部でした(現在はすべて外部サーバーを使って運用しており、動画配信も基本YouTubeを使用しております)

地元猪名川町内でも当時地元密着でENGビデオカメラとインタビューマイクを使い土日祝日中心に地域情報の積極的な取材活動を行っていました。(40歳の若かりし頃の私です)

当時地元猪名川町の広報誌「広報いながわ」でもユニークな活動とトップページで取り上げていただきました。

テレビ猪名川開設初期(2003年1月)には異業種交流会(PI-JAM)のゲストスピーカーとして「あなたも開設してみませんか?インターネット放送局~2003年はパーソナル情報発信の新時代~」と題して活動事例を解説しながら講演なども行っていました。(当時44歳の私)

ほぼ同じ時期にBS日テレの番組にCASA SONY 「個人放送局」(クリス・ペプラー& キャロル久末 出演)への電話出演などちょっと話題?の人物として取り上げていただきました。

当時の講座の資料の一部

 

また動画配信の実績・経験を元に一般向けに動画配信講座などを実施したこともありました。

CATV  J-COMさんとコラボレーションしての番組作りや取材活動なども行っていた時期もありました。

猪名川町の地元団体様と協働で企画映像制作(DVD)を行うこともありました。

◆テレビ猪名川 創設期作品 多田銀銅山 黄金伝説の郷

[Best_Wordpress_Gallery id=”225″ gal_title=”テレビ猪名川 創設期作品 多田銀銅山 黄金伝説の郷”]

こちらの作品は今から16年前(2004年7月)に取材して独自動画配信システムでインターネットで配信していた作品の一つです。

取材を受けていただいた在りし日の鈴木盛司氏

猪名川町へ静岡県から移り住み、1974(昭和49)年から40年近く猪名川町銀山地区に住み着いて調査を続けたトレジャーハンター鈴木盛司氏(すずきもりじし)(2012年2月没)を取材した作品(約3分)です。

この映像約3分の容量はなんと5.5MBであったことから隔世の感があります。このような地域の視聴者へスピーディーに地域情報をお届けする形になって今年で約28年となりました。

2006年取材当時は鈴木盛司氏は多田銀銅山史研究家であり、 文化庁登録 委保大5-1361の認定者で正式に国から「多田銀山埋蔵金発掘・調査」の許可を取って活動されていた本物のトレジャーハンターでした。

この多田銀銅山には日本3大埋蔵金伝説の一つと知られており、埋蔵量、信ぴょう性、これまでチャレンジした人の多さで群を抜く。

豊臣秀吉の黄金(埋蔵量ナンバーワン)が眠ると推定されており、鈴木氏の今もまだ謎のまま解明されていないのが現状である。

<多田銀銅山の黄金伝説とは>
1598(慶長3)年夏、豊臣秀吉が死の床についたとき、後継ぎの秀頼はまだ6歳。政権を託すにはあまりも幼く、せめてもの不安の解消策として、秀吉は勘定奉行の幡野三郎光照に命じて莫大な黄金を埋蔵させたという。それは、朝鮮出兵の軍用金の残り、天正長大判4億5千万両と金塊3万貫(112.5トン)で、場所は現在の兵庫県猪名川町の多田銀銅山の坑道内。
もし本当なら、金の地金としての値打ちだけでも約260兆円。天正長大判は1枚5千万円もするので、これで計算したら天文学的な金額となる。
太平洋戦争後、三重県と大阪府のある旧家から発見された埋蔵秘文書をもとに、長い間さまざまな人によって探索が続けられてきたが、まだ黄金はかけらも見つかっていない。奈良時代から銅や銀の採掘が行われてきた多田銀山には、無数の坑道があり、中には埋まっている部分や水没しているところもあるので、黄金を探し当てるのは並大抵のことではないだろう。大判4億5千万両というのはとてもありえない額だが、なにがしかは隠されていてもおかしくない。

こちら2作品もテレビ猪名川初期の取材作品としてご覧ください。

<地元団体様と協働での企画映像制作(DVD)作品>

◆「木喰のほほえみ~猪名川町から~」 HD版 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”216″ gal_title=”「木喰のほほえみ~猪名川町から~」 HD版 by テレビ猪名川”]

◆「猪名川ゆかりの佐保姫ものがたり」 HD版 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”217″ gal_title=”「猪名川ゆかりの佐保姫ものがたり」 HD版 by テレビ猪名川”]

◆「黄金伝説の郷 多田銀山」HD版 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”218″ gal_title=”「黄金伝説の郷 多田銀山」HD版 by テレビ猪名川”]

 

<テレビ猪名川YouTubeチャンネルで当時1999年のリバイバル作品をご覧ください。>

◆猪名川町広根のとんど(1999年制作)

[Best_Wordpress_Gallery id=”226″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「猪名川町広根のとんど(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

◆猪名川秋のイベントぶらりいながわ歴史街道

[Best_Wordpress_Gallery id=”227″ gal_title=”猪名川秋のイベントぶらりいながわ歴史街道”]

北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷宝山寺のケトロン祭り(1999年制作) 」 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”210″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷宝山寺のケトロン祭り(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

◆北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷大原野の秋まつり(1999年制作) 」 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”211″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷大原野の秋まつり(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

 

 

 

 

◆北摂ガイドリバイバル「猪名川町柏原の練りこみ(1999年制作) 」 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”212″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「猪名川町柏原の練りこみ(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

<テレビ猪名川の初の動画生中継配信番組は>

◆第2回屏風岩夏祭り「MC&リポート編」HD作品 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”209″ gal_title=”第2回屏風岩夏祭り「MC&リポート編」HD作品 by テレビ猪名川”]

◆第2回屏風岩夏祭り「猪名川木喰会さん創作紙芝居withいな坊」編  HD作品 by テレビ猪名川

[Best_Wordpress_Gallery id=”208″ gal_title=”第2回屏風岩夏祭り「猪名川木喰会さん創作紙芝居withいな坊」編  HD作品 by テレビ猪名川”]

こちらのイベント「第2回屏風岩夏祭り」は猪名川町商工会青年部主催のイベントでテレビ猪名川初の地元イベントの企画構成にも本格的に関わらせていただいたイベントでした。

当時は屏風岩前の屋外イベント会場と近くにある温泉旅館の岩屋館様のご協力を得てインターネット回線を会場までLANケーブルを約50メートルひかせていただき、カメラとはルーターでWifiでつながせていただいて会場を移動しながらの生中継を行いました。

この模様はほぼ終日Ustreamの映像配信により生配信を行った記念すべきイベントでした。

当時のイベントMCはテレビ猪名川主催の各種イベントでおなじみのフリーアナウンサーの北川 恵(きたがわめぐみ)さん でした。

<忘れてはならないぼちぼちLIVEとの出会い>

ぼちぼちLIVEとは企画者・主催者の先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんが「阪神淡路大震災」直後から兵庫県出身の東京在住ミュージシャンが「神戸がんばーとーやんなっ!」を思いつつ「楽しもうやっ!」という言葉から始まったチャリティライブイベントで、毎年神戸の老舗ライブハウス「神戸チキンジョージ」で開催され、震災遺児支援事業を運営されている【あしなが育英会】様へに売上の一部を毎年寄附をされている素敵なイベントです。

西田恵美子さん(左) 先海伊織さん(右)

私は1998年の第5回から当時ネットで先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんと出会い、今も毎年ライブ収録でテレビ猪名川が全面的に応援させていただいています。また、テレビ猪名川の機材や技術力レベルアップの勉強もさせていただくなど、テレビ猪名川のこれまでの成長を支えていただいた大切なイベントです。今年も10月4日に開催が予定されていますが、早期にコロナ禍が収束して、予定通り開催できればと祈っております。

[Best_Wordpress_Gallery id=”220″ gal_title=”懐かしのぼちぼちライブVol5 by テレビ猪名川”]

私が最初に関わった「ぼちぼちライブVol5 by テレビ猪名川」をご覧ください。

<直近の委託業務として~おうちでエンタメ!ミュージカル「川西の金太郎」~(特別配信)を行っています>

新型コロナウイルス感染症対策により、子どもさん方は約3ヶ月もの間、幼稚園や学校に行けず ステイホームを余儀なくされています。
このような時こそ、子供たちにおうちで我が町川西の ミュージカルを楽しんでいただきたいということで
市民創作ミュージカル「川西の金太郎」 (収録時間1時間48分)を市民創作ミュージカル「川西の金太郎」実行委員会様が制作したものをテレビ猪名川が実行委員会様から委託を受けて文教目的により代行特別配信を行っております。

詳細はこちら↓をご覧ください。

https://tvinagawa.net/?page_id=12173

今後はこれまで約30年間につちかった、経験や技術やICTの知識を活かして独自の最新映像配信サービスシステムも構築し、多くのお客様に利便性の高い映像オンラインサービスを提供できるようにさせていただく予定(2021年度より予定)ですのでご期待ください。

(インターネットテレビジョン テレビ猪名川 代表 誉田 勝)

#テレビ猪名川 #動画配信 #地域情報発信 #猪名川町 #ぼちぼちLive  #川西市 #サンテレビ #池田市

テレビ猪名川への取材依頼、委託業務依頼、映像配信(イベント中継なども含む)映像素材提供、オンライン教育コンテンツ制作など、思い出のアーカイブデジタル変換など各種お問合せは下記お問合せフォームからお気軽にお願いいたします。

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    ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)わが青春時代の懐かしの阪急電車(はんきゅうでんしゃ)

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    テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)より。
    わが青春時代に通学で毎日利用していたのは先日こちらでご紹介させていただいた神戸電鉄(こうべでんてつ)と神戸市須磨区にある滝川高校までの通学に使っていた山陽電鉄でしたが、大学へ進学した時からは西宮市の関西学院大学まで4年間阪急電車(神戸線)通学を行うことになりました。

    こちらでは私が大学を卒業した1980年代に登場した7000系以前の車両を私の青春時代の懐かしの阪急電車として以下の通り簡単に紹介(写真・動画・音源などで)させていただきます。

    阪急6000系電車 神戸線

    ◆阪急7000系電車 神戸線

    7000系は、1980年から1988年まで製造された通勤形電車である。6000系をベースに1980年から1988年までに210両が製造され、阪急での同一系列の製造数が最も多い形式である。車体は6000系とほぼ同一で、制御装置は回生ブレーキ付き界磁チョッパ制御(東芝製)に、主電動機は複巻電動機に変更され、出力も150kW(定格回転数は1,620rpm)に増強された。
    また、6000系(旧2200系を含む)を組み込んだ編成や、6両編成の一部には8000系と連結して通常は8両編成として運用されている編成が存在する。

    阪急7000系(神戸線)と6000系(宝塚線) 大阪梅田

     

    阪急2000系電車 神戸線

    神戸線音源 2000系こちらのリンク↓よりお聴きになれます。

    https://app.box.com/s/g7dp24nvibhnm577pmw8ld1tu3sdpna3

    阪急5100系電車 神戸線

    神戸線

    阪急2800系電車 京都線

    阪急810系電車 甲陽線

    阪急2800系電車 京都線

    阪急2800系電車 京都線

    ◆阪急2300系電車 京都線

    2300系は京都線用の通勤形電車で、1960年に神宝線用の2000系の姉妹車として登場した。基本デザインは最新の1300系にも受け継がれた。2015年3月20日に定期運用を終了廃車となり形式が消滅した。55年におよぶ運行を終了した。

    阪急5200系電車  神戸線

    阪急5000系電車 神戸線

    阪急5200系電車 神戸線

    ◆阪急5100系電車 神戸線

    5100系は、1971年から製造された通勤形電車である。
    神戸線用の架線電圧1500V専用車5000系、5000系の試作冷房搭載車5200系に続き本格的冷房搭載車として製造された形式で、冷房車を各線均等に配置するために、それまで神戸線、宝塚線(神宝線)系統の車両と京都線系統の車両とで異なっていた機器類の規格がこの車両から統一され、全線での運行に配慮した設計となった。

    阪急920系電車 宝塚線

    阪急3100系電車 宝塚線

    阪急3000系電車 今津線 映画「阪急電車片道15分の奇跡」のロケに使われた編成

    阪急3100系電車 今津線

    阪急920系電車 今津線

    阪急920系電車 今津線

    今津線音源 920系他はこちらのリンク↓よりお聴きになれます。

    https://app.box.com/s/fun82zfymc76t8droszgfqxg3wtnscaf

    阪急3100系電車 伊丹線

    ◆阪急3100系電車 箕面線

    3100系は3000系の宝塚線仕様の車両で基本構造は3000系と共通であるが、主電動機が出力120kWのSE-535(定格回転数は1520rpm、許容回転数は4500rpm)に変更され、歯車比も2100系と同様に6.07で低速向けとなっている。

    ◆阪急6000系電車

    6000系は1976年から1980年にかけて126両が製造され、1985年には4両が追加で製造された。
    神宝線用に5100系の電装品に2200系の車体を組み合わせて製造された車両で、ブレーキシステムは2200系と同じく電気指令式で、運転台には2200系と同じくワンハンドルマスコンが採用されている

    現在能勢電鉄には車籍を移籍した6000系1編成が能勢電鉄線内と阪急宝塚線の運用に入っている(但し所属は阪急 平井車庫)

    阪急3000系電車

    阪急3000系電車 と山陽3050系電車

    初期の頃は山陽電鉄線須磨浦公園まで神戸高速鉄道線を介して阪急は相互乗り入れを行っていた

    ※★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)わが青春時代の懐かしの山陽電車(さんようでんしゃ)は後日記事を掲載予定ご期待ください。

    ◆阪急3000系電車

    3000系は、1964年に登場した通勤形車両である。1960年代の阪急神戸線は、神戸高速鉄道線・山陽電鉄線乗り入れの計画から架線電圧の 600 V から 1500 V への昇圧が計画されていた。これに備え、両方の電圧に対応できる「複電圧車」2021系が在籍していたが、機器の構造が複雑で保守に難があるという欠点があった。
    そこで、昇圧後は複電圧機能が不要となることから、新たに単純な抵抗制御を搭載して登場したのが3000系である。

    阪急920系電車

    阪急920系電車

    ◆阪急920系電車

    920系は、かつて阪神急行電鉄及び京阪神急行電鉄を経て阪急電鉄に在籍した通勤型電車である。神戸線での特急阪神間25分運転の開始に際し1934年から製造が開始され、その後1948年にかけて56両が製造された車両である。1982年3月の甲陽線での運用を最後に営業運転を終了し全廃された。

    ◆阪急1010系・1100系電車

    1010系・1100系は1000形の試用結果を元に設計された量産高性能電車で、歯車比の相違等から神戸線用(1010系)と宝塚線用(1100系)に区分され、1956年から1961年にかけて1010系が35両と1100系が51両の合計86両がナニワ工機で製造された。阪急引退後には能勢電鉄へ譲渡移籍した。

    阪急610系電車

    阪急610系電車 さよなら運転

    阪急610系電車

    阪急610系電車の車内

    阪急610系電車の運転台

    阪急610系電車

    ◆阪急610系電車

    610系は小型の通勤形電車である。宝塚線用として、老朽化した木造電車の車体更新の名目で1953年から1956年にかけて36両が製造され、宝塚線の輸送力増強に大きく貢献した。のちに阪急引退後、能勢電鉄に譲渡移籍して活躍したが、1700系の登場により1990年から廃車が開始され、最後まで残った610-650-630-631-661の5両編成で1992年4月19日(川西能勢口~日生中央間)でさよなら運転を実施、同編成が5月18日付で廃車された。

    [Best_Wordpress_Gallery id=”199″ gal_title=”能勢電車610系さよなら”]

    能勢電鉄さよなら運転の様子(動画)をご覧ください

     

    ◆4203型 事業用電動貨車(神宝線用)

    ◆4210型 事業用電動貨車(神宝線用)

    阪急5200系電車

    ◆阪急5200系電車

    5200系は、通勤形電車で、阪急初の新製冷房車として1970年から1971年にかけて25両が製造された車両である。1998年秋の今津南線及び甲陽線のワンマン化に伴う車両移動によって休車となり、1年ほど平井車庫に疎開留置されたのち、1999年12月から2000年1月にかけて正雀工場に回送後廃車され、型式消滅した。5200系の廃車体は、5251前頭部以外はすべて解体処分されている。5200系は冷房装置の関係で他の車両に比べて屋根高さと形状は大きく異なっている。

    ◆阪急1200系電車

    宝塚線用として当時まだ残存していた木造車である1形の代替を名目に、600形や920系といった在来車各形式から台車・主電動機・制御機器といった主要機器を寄せ集めて1010系と同様の車体を新製して1956年から1958年にかけてナニワ工機で製造された車体更新車両である。本形式は吊り掛けモーター車であり、1010系のような高性能車ではない。
    1982年の甲陽線での3連運用を最後に定期運用を離脱して順次廃車され、休車となっていた1206Fの4両を最後に、1983年に全車廃車されたレアな車両である。

    阪急6000系電車

    阪急2200系電車

    阪急2200系電車

    ◆阪急2200系電車

    2200系は、1975年に試作導入した通勤形電車である。当時における新しい技術の長期実用試験車としての役割も持っていた車両である。しかし1995年の阪神・淡路大震災発生時、今津線宝塚南口駅付近を走行中に脱線し、機器に復旧不可能な損傷を受けて電動車の2721が廃車(再使用可能機器を使って、付随車6772として再生)されたことを機に試験車としての使用を停止し、残存車は6000系に編入されることになり、本系列は形式消滅となったが現在は全車が付随車化のうえ6000系に編入されている。※阪急6000系6050(元2200系2250)

    阪急5000系電車

    阪急5000系電車

    ◆阪急5000系電車 正雀

    1960年代の阪急電鉄は、輸送力増強と、神戸高速鉄道東西線・山陽電気鉄道本線(以下「山陽電鉄」)乗り入れ計画の具体化から、神戸線の架線電圧を当時の600Vから1500Vに昇圧する事を予定していた。それに備えて双方の電圧に無改造で対応できる複電圧車の2021系が在籍していたが、しかし3000系と同様、1967年に行われる昇圧以降の600V対応機能の不要による単電圧化、および居住性や乗り心地向上のための足回りの改善を眼目に新たに設計したのが5000系で、合計47両が製造された。

    ◆阪急810系電車 正雀

    810系は通勤形電車で、神戸線及び宝塚線用として1950年から1954年にかけて26両がナニワ工機(現アルナ車両)で製造された。製造時期や性能によって、厳密には810形と814形に分けられる。

    阪急2000系電車 正雀

    ◆新京阪鉄道P-6形電車(100系)正雀

    新京阪鉄道P-6形電車は、阪急京都本線などの前身となる新京阪鉄道が1927年から1929年にかけて合計73両が製造され、以後の変遷によって京阪神急行電鉄に帰属した電車である。「100系」とも呼ばれ、また新京阪鉄道時代前半(1927 – 1929)の形式称号である。製造は、当時の主要車両メーカー4社(汽車製造、日本車輌製造、川崎造船所、田中車輌)で行われた。

    阪急1600系電車 正雀

    ◆阪急1300系電車 正雀

    京都線初の高性能車として1957年から1961年にかけて16両がナニワ工機で製造され、1983年に4両編成3本に組み替えられて嵐山線運用にも転用されたが、この際余剰となった1307・1308は以後使用されないまま1986年に廃車解体され、残る12両も1987年までに廃車となり形式消滅した。(新1300系は形式番号継承)

    阪急6300系電車 正雀

    阪急6300系電車 運転台 阪急ワンハンドルの最初の形式です。

    阪急3300系電車 正雀

    ◆阪急3300系電車 正雀

    3300系は京都線・千里線用の通勤形電車である。
    1967年から、京都線・千里線仕様車として製造され、大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)6号堺筋線への相互直通運転計画から、「民営鉄道標準車体」と呼ばれる車体で製造されたが、車体各所の設計は、ほぼ同時期より神宝線向けに製造を開始した5000系と共通化されているが、神宝線へは民営鉄道標準車体では車体幅が車両限界に抵触するため、入線不可能となっている。

    ◆阪急5300系電車 正雀

    5300系は1972年に登場した京都線・千里線用の通勤形電車である。初の神宝線・京都線共通規格車5100系相当の機器と、3300系の大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)堺筋線乗り入れ対応の「民営鉄道標準車体」とを組み合わせた京都線専用車両である。
    5100系と同様に当初から集約分散式冷房装置を搭載しているために冷房風洞分だけ屋根が3300系より高く取られ、前面には3300系を踏襲して手動式小型方向幕と側面にはは3300系と同様に電光式列車種別表示装置が設置された。

    撮影はすべて 誉田 勝(こんだまさる)

    ※車庫での撮影は当時関西学院鉄道研究会の見学・撮影会で許可を受けて撮影いたしました。

    ※ここに掲載されていない320系、500系については、そのあと能勢電鉄で移籍活躍した610系についても

    ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)思い出の能勢電車グラフティ https://tvinagawa.net/?p=10574 

    をご覧ください。

    今後テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)「わが青春時代の懐かしの阪急電車(はんきゅうでんしゃ)」他、「懐かしの現役時代の鉄道」をシリーズ化(今後)してポストカードとして、映像はDVDとして商品化(テレビ猪名川ネットショップ限定)を予定しております。ご期待ください。

    テレビ猪名川アーカイブスは今後もお客様秘蔵の貴重な懐かしの映像や写真をデジタル化をしてまいります。

    テレビ猪名川アーカイブスではこれら貴重な映像や写真の出版物や放送用資料映像としての素材提供も行っています。

    アナログの動画、写真のデジタル化、素材提供、使用など各種お問い合わせは

    テレビ猪名川のお問い合わせフォームからお願いいたします。

    #阪急電鉄 #鉄道 #アーカイブス #テレビ猪名川 #阪急

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      ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)わが青春時代の懐かしの神戸電鉄(こうべでんてつ)

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      テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)より。
      わが青春時代に通学で毎日利用していた神戸電鉄(こうべでんてつ)の写真をご紹介します。
      神戸生まれ、神戸育ちのいわゆる神戸っ子であった私は、中学までは神戸市東灘区の御影(みかげ)に住んでおりました。、高校への進学(私立の滝川高校)を期に、両親が念願のマイホームを神戸市北区鈴蘭台に新築居を構えることになりました、昭和48年のことでした。この時から、須磨区にある滝川高校までの通学の足となったのが神戸電鉄でした。当時は最寄駅鈴蘭台西口駅(粟生線)から新開地(しんかいち)まで、神戸高速鉄道経由で山陽電鉄の滝川高校の最寄駅板宿駅(いたやどえき)まで3年間卒業まで通いました。大学は西宮市の関西学院大学まで今度は新開地から神戸高速鉄道経由・阪急神戸線での通学が始まり、通算7年間神戸電鉄での通学を行うことになりました。

      神戸電鉄は2015年~2018年までの期間毎年応援鉄ツアー(北条鉄道を含み)を応援をさせていただきました。

      復刻記念カラー1100系電車の定期列車を利用して粟生線を応援鉄ツアーを企画いたしました。(2018年11月)

      神鉄開業90周年記念応援鉄ツアーで隊長の豊岡真澄(とよおかますみ)さん

      元神戸電鉄親善大使のこがちひろさんと豊岡真澄さん

      粟生線三木上の丸駅(みきのうえのまるえき)

      神鉄開業90周年記念応援鉄ツアー参加者の皆様と共に

      今は廃止となった有馬線の菊水山駅(きくすいやまえき)を当時最新鋭の3000系電車

      当時は鈴蘭台車庫に唯一、営業運転から引退したデ101型電車が入換え車両としてほぼオリジナルの形でまだ現役でした。このデ101型電車の保存・復元を目的とした鉄道ファンによる有志団体「デ101まもり隊」の皆さんが現在保存支援活動を行っています。

      デ101型電車の運転台

      これはデ101型電車の速度計(テレビ猪名川所蔵)

      デ101型電車は神戸電鉄の前身である神戸有馬電気鉄道が開業翌年の1929年(昭和4年)に製造した電車で、開業時に新造したデ1型の増備形式の日本車輌製の電車である

      現在の鈴蘭台車庫内に眠るデ101型電車と鉄道アイドルの豊岡真澄(とよおかますみ)さん

      粟生線押部谷付近を行く800系電車

      鵯越駅を行く300系と1000系電車

      粟生線木津付近を行く1000系電車

      菊水山駅付近 1000系電車

      菊水山駅付近 852型(元デ101の車体更新車)

      菊水山駅付近を行く300系電車

      1960年に川崎車輛(現川崎重工)で製造された神戸電鉄初の高性能電車である。当時、流行った湘南型前面2枚窓のスタイルです。

      粟生線 西鈴蘭台~鈴蘭台西口

      粟生線 押部谷付近 800系電車

      西鈴蘭台駅 夜景

      在りし日の粟生線三木駅舎 2018年3月近隣住宅で発生した火災が延焼し、下りホーム側駅舎が全焼してしまい現在駅舎を再建中

      粟生線 小野付近 800系電車

      三田線 三田駅

      有馬線 菊水山駅付近 3000系

      有馬線 菊水山駅付近 800系

      現在の鈴蘭台車庫風景 自宅から車庫は近かったこともあり撮影のために何度も通った思い出の車庫である。

      ※車庫内は許可をいただき見学や撮影をさせていただきました。

      神戸電鉄唯一の電気機関車1949年(昭和24年)に三菱重工三原製作所でED2001形2001として1両が製造された

      ED2001形2001電気機関車は1943年に休止された国鉄有馬線の貨物輸送を代行するために導入された。1990年(平成2年)には改番によって700形を名乗っている2011年3月31日付で廃車された

      神戸電鉄の事業用車両デヤ750型電車、レール運搬など各種配給業務や保線工事などで活躍した

      小野市の車両機器メーカーのカコノテクス社には引退した1100型電車が静態保存されています。

      https://www.kako.co.jp/shintetsu

      撮影はすべて 誉田 勝(こんだまさる)

      今後テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)「わが青春時代の懐かしの神戸電鉄」他、「懐かしの現役時代の鉄道」をシリーズ化(今後)してポストカードとして、映像はDVDとして商品化(テレビ猪名川ネットショップ限定)を予定しております。ご期待ください。

      テレビ猪名川アーカイブスは今後もお客様秘蔵の貴重な懐かしの映像や写真をデジタル化をしてまいります。

      テレビ猪名川アーカイブスではこれら貴重な映像や写真の出版物や放送用資料映像としての素材提供も行っています。

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      #神戸電鉄 #鉄道 #アーカイブス #テレビ猪名川 #神鉄

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        ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)懐かしの常磐線沿線(じょうばんせん)の思い出風景

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        テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)より。
        懐かしの常磐線(じようばんせん)の写真をご紹介します。
        先日、東日本大震災以来、9年ぶりに全線開通したばかりの常磐線。今から約40年前の平駅(たいらえき)構内や富岡駅(とみおかえき)、東海駅(とうかいえき)、勝田駅(かつたえき)の姿、当時の列車・車両、日立電鉄の車両も懐かしい風景ですぜひご覧ください。

        常磐線 勝田駅 現在のひたちなか海浜鉄道(勝田駅から阿字ヶ浦駅まで計10駅14.3kmとの接続駅である

        485系交直流電車 特急ひたち

        常磐線 土浦駅 403系近郊型 電車

        403系 交直流 近郊型電車 高萩付近

        483系交直流電車 特急ひたち 高萩付近

        451系交直流電車 急行ときわと列車交換

        ED75型電気機関車牽引の常磐線 旧型客車普通列車 平駅(たいらえき)

        オハ35型旧型客車 平駅(たいらえき)

        451系 交直流電車 急行ときわ 平駅(たいらえき)

        サロ455 グリーン車 平駅(たいらえき)

        451系 交直流電車 急行ときわ 平駅(たいらえき)

        403系 交直流電車近郊型電車

        常磐線 富岡駅(とみおかえき)

        455系電車 急行ときわ 大甕(おおみか)付近

        平駅(たいらえき)には磐越東線のキハ28系 急行いわきも乗り入れていました。

        DE10型 ディーゼル機関車 平駅(たいらえき)

        583系寝台電車 特急 みちのく

        上野~青森を常磐線経由で結ぶ特急列車として1972年から1982年までの10年間運転されていた

        常磐線 東海駅(とうかいえき)

        常磐線 大甕駅(おおみかえき) 483系交直流電車 特急ひたち

        2005年3月末で廃線となった日立電鉄(常北太田~鮎川)が常磐線 大甕駅(おおみかえき)から当時接続していました。

        長町駅(ながまちえき)は仙台市内にある東北本線の駅であるが、東北本線岩沼駅から分岐する常磐線の列車と、「仙台空港アクセス線」として名取駅から仙台空港鉄道仙台空港線に直通する列車も乗り入れており、合計3路線4方面の列車が利用できる駅である。 近くには当時常磐線や東北本線や仙山線で運行される電気機関車の基地 長町機関区があった

        EF80型交直流電気機関車 長町機関区

        ED75型交直流電気機関車 長町機関区

        ED71型交直流電気機関車 仙山線などで活躍した

        同型の北陸本線で活躍したED70型交直流電気機関車は周波数60KHZの機関車である

        当時の常磐線は写真にあるようないわゆる鈍行と言われる、機関車牽引の長距離普通客車列車や、ときわ号などの急行電車、今も名称が残る特急ひたち号、ブルートレインゆうづる号などの夜行列車が運行され仙台までの東北本線のバイパス線(日暮里〜岩沼)としても機能していました。
        取手〜岩沼間は交流電化されている路線でもあります。
        ちなみに平駅(たいらえき)は今のいわき駅で当時は平機関区が併設されており、さらに昔には、C62、C61、C59などの旅客用大型蒸気機関車が所属して、常磐線の特急列車や急行列車の主力牽引機として活躍していた時代もありました。
        いわきは常磐炭田のあった炭鉱町でもあり、今は映画フラガールでも知られている跡地を利用したスパリゾートハワイアンズ(元常磐ハワイアンセンター)がある町で近隣の湯本駅が最寄り駅でもあります。

        撮影はすべて 誉田 勝(こんだまさる)

        今後テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)「懐かしの現役時代の別府鉄道」他、「懐かしの現役時代の鉄道」をシリーズ化(今後)してポストカードとして、映像はDVDとして商品化(テレビ猪名川ネットショップ限定)を予定しております。ご期待ください。

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        テレビ猪名川アーカイブスではこれら貴重な映像や写真の出版物や放送用資料映像としての素材提供も行っています。

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        #常磐線 #鉄道 #アーカイブス #テレビ猪名川 #富岡駅 #平駅   #東海駅 #長町機関区 #勝田駅

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          ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)懐かしの現役時代の鹿児島交通(かごしまこうつう)

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          テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)より。

          懐かしの現役時代の鹿児島交通 枕崎線(かごしまこうつまくらざきせん)の写真をご紹介します。
          こちらは現役時代、主に今の南さつま市にあたる当時車庫のあった加世田(かせだ)駅構内で撮影した鹿児島交通鉄道線の車両です。
          加世田駅は現在は鹿児島交通のバスターミナルとなっており、一部車両が保存されている以外は当時の駅の面影はほとんどありません。当時の国鉄指宿枕崎線の接続駅 枕崎駅はかなり立派な駅舎が有ましたが、現在の指宿枕崎線の終点枕崎駅は無人駅となり、駅舎も無く、接続していた、鹿児島交通枕崎線も廃線となり、なにもない何か侘しさが漂う駅となってしまいました。当時は一部列車は国鉄の西鹿児島駅まで直通運転を行っていた列車もありました。
          鹿児島交通は今は鹿児島県内にバス路線網を持つ、バス会社のイメージがありますが、かつては鉄道路線を持った鉄道会社でもありました。1914年(大正3年)に南薩鉄道によって開業して以来、薩摩半島での重要な交通機関として役割を果たしてきたが、1960年代には南薩鉄道は経営難に陥り、1964年(昭和39年)9月に大隅半島でバス事業を営業していた三州自動車に合併され鹿児島交通が誕生。以降も鉄道部門は貨物輸送の廃止などの合理化を進めたが、沿線人口の減少や自動車の普及に加えて、沿線から鹿児島に向かう客も同社のバスに流れるようになった。

          1970年代に入ると車両や設備の老朽化も著しくなり、1983年(昭和58年)6月の豪雨で大きな被害を受けたこともあり、伊集院 – 日置間と加世田 – 枕崎間は復旧しないまま1984年(昭和59年)3月に廃止されました。

          100形ディーゼルカー

          300形ディーゼルカー

          当時の関西学院大学鉄研の同期生(坂岡君、山口君)とともに加世田駅にて

          鹿児島交通加世田駅

          加世田駅構内から車庫方面を望む

          100形ディーゼルカー

          鹿児島交通南薩線沿線は田園風景の最果て感いっぱいの路線でした。ゆらゆらと線路状態の良くない路線を走るディーゼルカーからの車窓にわくわくしたのを覚えています。

          国鉄キハ10タイプの300形ディーゼルカー

          国鉄キハ07タイプの100形ディーゼルカー

          DD12型02号ディーゼル機関車

          この機関車は元国鉄の機関車で終戦後に日本に進駐した米軍が持ちこんだ電気式凸型機関車でその後、日本国内で製造されたDD11型、DD13型、DD51形に発展したといわれています。(現在も加世田の鹿児島交通のバスターミナルに保存されています)

          車庫前に廃車となった国鉄C12タイプの蒸気機関車が2両が残されていました。

          郵便車 ホユニの廃車体です。

          車庫の横に停まっていたテフ25号です。
          「テ」は手荷物のテだそうです。貨物列車の緩急車で活躍したそうです。

          現在はこの加世田駅の跡にできた鹿児島交通加世田バスセンター内(南さつま市)に一部の車両や施設が保存されています。

          撮影はすべて 誉田 勝(こんだまさる)

          今後テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)「懐かしの現役時代の別府鉄道」他、「懐かしの現役時代の鉄道」をシリーズ化(今後)してポストカードとして、映像はDVDとして商品化(テレビ猪名川ネットショップ限定)を予定しております。ご期待ください。

          テレビ猪名川アーカイブスは今後もお客様秘蔵の貴重な懐かしの映像や写真をデジタル化をしてまいります。

          テレビ猪名川アーカイブスではこれら貴重な映像や写真の出版物や放送用資料映像としての素材提供も行っています。

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          #鹿児島交通 #鉄道 #アーカイブス #枕崎 #加世田 #テレビ猪名川 #鹿児島県

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            ★★本場松阪牛の名物駅弁がお取り寄せでお家で楽しめる創業明治28年老舗あら竹商店の駅弁

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            先日、三重県松阪からのお取り寄せ!あら竹商店様の愛の駅弁『匠の技松阪牛物語』がクール便で届き家族で頂きました。
            一昨年夏は家内とお伺いして大変お世話になりました。家内も娘も証明書付きの高級な松阪牛のほかほかのとても美味しい駅弁にとても喜んでくれました。ぴーちゃん社長(新竹浩子)様ありがとうございました。今コロナ禍で大変な時期ではありますが、自宅から心より応援してまーす。また、安心して旅ができる時期がくれば近鉄特急に乗って伊勢へお伺いしますね。(o^^o)

            今回お取り寄せした駅弁は 日本一の加熱式駅弁「匠の技 松坂牛物語」です。

            自宅にいてもちょっと旅気分を味わえるのが駅弁の魅力です。今までの楽しい近鉄さんイベントを思い出しながらささやかですが、あら竹さんの応援をさせていただきました。

            駅弁のあら竹のオフィシャルサイトの通販からオーダーポチリ

            (商品によっては配送できる地域やオーダー納期に条件が必要なものもあるので注意)

            https://www.ekiben-aratake.com/

            私の場合は家族3名分3個を納期の約5日前にオーダーしました。なんと駅弁の使用している松阪牛肉の証明書が1個ずつに付いていました。

            指定の4月4日(土)の時間帯にクロネコヤマトの代金引換で到着

            このような完璧な梱包で安全・安心に我が家に無事到着しました。

            今回は家族3人全員で晩ごはんとしていただきました。

            加熱式駅弁なので紐を引き抜くとお弁当が自動的に加熱して熱々で高級な松阪牛を自宅でいただける喜びを感じました。

            一昨年の夏に家内のバースデー記念の伊勢志摩旅行をした際にJR・近鉄松阪駅近くの 駅弁のあら竹本店にお伺いしました

            (ぴーちゃん社長様とツーショットいただきました)

            あら竹さんの駅弁は松阪駅の駅売り以外に近鉄さんの色々なイベント列車にも積み込み登場する超人気の駅弁です。

            近鉄特急運転開始70周年記念イベントでぴーちゃん社長(新竹浩子)様とご一緒した時の記念写真

            「匠の技 松坂牛物語」と以外にもあら竹さんの人気の駅弁がいっぱいです。

            <黒毛和牛 モー太郎弁当>

            <黒毛和牛 元祖特撰牛肉弁当>

            <黒毛和牛 モー太郎寿司>

            <あら竹の駅弁ラインアップ>

            松阪牛 極上松阪牛ヒレ牛肉弁当

            黒毛和牛 牛肉弁当御膳

            黒毛和牛 すき焼弁当

            黒毛和牛 しぐれ弁当

            黒毛和牛 霜ふり寿司

            幕の内弁当・料理弁当

            歴史ロマン駅弁 本居宣長辨当

             

            [Best_Wordpress_Gallery id=”186″ gal_title=”創業明治28年老舗あら竹商店”]

            創業明治28年 JR・近鉄松阪駅 駅弁のあら竹 代表取締役社長 新竹浩子(ぴーちゃん)社長(6代目)

            (社)日本鉄道構内営業中央会会員

            株式会社 新竹商店 三重県松阪市日野町729-1

            TEL 0598-21-4350 FAX 0598-21-5758

            おうちであら竹駅弁はいかがでしょう?
            ~通信販売をぜひぜひご活用ください~(通信販売はこちらからどうぞ!)

            https://www.ekiben-aratake.com/cart/cart.cgi

            #松阪牛 #三重県 #あら竹 #モー太郎弁当

            (情報提供元:株式会社 新竹商店 新竹浩子様)

            ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)懐かしの思い出の近鉄電車グラフティ

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            テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)より。
            懐かしの思い出の近鉄電車の写真をご紹介します。

            こちらは大学現役時代、当時、私の所属する関西学院大学鉄道研究会で近鉄さんの高安車庫を見学.撮影会をさせて頂いた際に撮影した、往年の名車両群を目の当たりにしたとき、なんて近鉄電車はこんなオシャレでカッコいいのだろうと感激したし、鳥肌がたって憧れた思い出が今も蘇ってまいります。
            当時、今のキャビンアテンダントにあたる美しい女性乗務員さんが近鉄特急車両で颯爽たるユニホーム姿で車内サービスをされているのにも感激しました。
            当時飛行機も高嶺の花でしたから、スッチーさんが乗る列車として憧れました。

            10100系電車「新ビスタカー」昭和34年~

            10100系電車運転席

            10100系電車 普通席

            10100系電車 ダブルデッカー車両

            10100系電車 ダブルデッカー車両 2階席

            10100系電車 ダブルデッカー車両 1階席

            10100系電車 スナックコーナー

            12200系電車と10100系電車

            12200系電車 新スナックカー 昭和43年~

            12200系電車 スナックカー車内

            10400系電車(旧エースカー)昭和36年~

            11400系電車(新エースカー) 昭和38年~

            近鉄20100系電車「あおぞら」は修学旅行や団体専用の全車ダブルデッカー編成のユニークな車両 昭和37年~

            ク1322(元奈良電のデハボ1350形)かつて京都・橿原線を走っていた特急680系モ683のみが、Tc化されてク1322となり、大阪線などで鮮魚列車や荷電の運用に活躍していた電車

            元参宮急行2200系旧型車改造モワ10形22号(元鮮魚列車)

            モワ10形22号 車内

            元大軌1400系旧型車改造モワ10形18号(元鮮魚列車)

            2400系電車(一般車)

            2600系電車(一般車)

            2600系電車車内

            2800系電車(一般車)

            18200系電車 ミニスナックカー (青山トンネル付近)

            10400系電車(旧エースカー)

            6431系電車(元名古屋線改軌前の専用特急車両)

            12200系電車 スナックカー (伊勢中川にて)

            10100系電車新ビスタ 名阪特急 (伊勢中川にて)

            撮影写真はすべて 誉田 勝(こんだまさる)

            テレビ猪名川アーカイブスは今後もお客様秘蔵の貴重な懐かしの映像や写真をデジタル化をしてまいります。

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            (テレビ猪名川アーカイブス)

            #近鉄 #鉄道 #アーカイブス #近鉄特急 #ビスタカー #スナックカー #鮮魚列車 #エースカー #テレビ猪名川 #大軌 #参宮急行

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              ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)懐かしの現役時代の別府鉄道(べふてつどう)

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              テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)より。
              懐かしの現役時代の別府鉄道(べふてつどう)の写真をご紹介します。

              こちらは1984年1月31日のサヨナラ列車(最終運転)の大雪の日でした。兵庫県の播磨地方冬でも比較的温暖な地域で滅多にあの大雪にはならないのですが、当時は別府鉄道の名残雪となりました。

              土山線のさよなら運転列車

              野口線のさよなら運転列車

              別府港駅舎

              前方に見えるのは別府鉄道の線路をオーバークロスする山陽電鉄・山陽新幹線の高架橋

              さよなら運転(別府港)にかけつけた多くの鉄道ファン

              別府鉄道最終運転最終列車(別府港駅にて)

              キハ3号(元 佐久鉄道キホハニ56に復元保存)をはじめ別府鉄道の車両群が憩う別府港機関区

              土山線の貨物・旅客列車に運用されていた2軸の客車ハフ7号は

              元神中鉄道(現相模鉄道)ハ24号でした、現在は相模鉄道かしわ台車両基地入口に3号機関車と共に大切に保存されています。

              国鉄キハ41057 ⇒ 元同和鉱業片上鉄道(キハ301)から移籍したキハ101号(昭和9年 川崎車輛製) 2008年までは別府港近くの中島公園に保存されていましたが、残念なことに老朽化が激しく廃却されてしまいました。

              別府港駅にあった 信号テコ

              DB201号機関車

              DD502機関車

              こちらは野口線と土山線の合流点、別府港駅でした。当時はここに機関区と広大な操車場があり、多種多様な車両がたむろしていました。

              こちらは別府鉄道の現役時代、別府港駅構内で撮影した土山線、野口線の車両です。今この場所は大手スーパー、イトーヨーカドー加古川店となっており、風景も大きく変わりましたが、今も廃線跡には色々な痕跡が残っています。当時の土山線の車両は播磨町内、野口線の車両は加古川市内にそれぞれ大切に保存されています。

              [Best_Wordpress_Gallery id=”183″ gal_title=”「消えた東播磨のミニ鉄道を訪ねて」 by テレビ猪 名川 HD”]

              「消えた東播磨のミニ鉄道を訪ねて」 by テレビ猪 名川 HD

              撮影 誉田 勝

              [Best_Wordpress_Gallery id=”184″ gal_title=”思い出をつなぐ鉄路(別府鉄道)”]

              「思い出をつなぐ鉄路(別府鉄道)」by テレビ猪 名川 HD

              8ミリ映像提供 兵庫県 加西市 三枝一夫様

              大中遺跡付近

              こちらは国鉄山陽本線土山駅と別府港を結ぶ貨物路線の土山線の

              野口線 藤原製作所前駅(ふじわらせいさくしょまえ)

              藤原製作所前駅付近

              キハ2号(元三岐鉄道キハ5号)野口駅にて

              高砂線キハ20号と別府鉄道キハ2号(野口駅にて)

              元同和鉱業片上鉄道 キハ101号(野口駅にて)

               

              DC302号機関車 遠く加悦鉄道(かやてつどう)へ車両不足の応援に遠征したことも

              ハフ5号は元神中鉄道(現在の相模鉄道)のガゾリンカーキハ10(キハ10形)

              土山線の車両DC302号機関車+ハフ5号は播磨町郷土資料館に保存されています。

              また、野口線を走っていた当時の貴重な機械式気動車キハ2号(元三岐鉄道キハ5号)は加古川市内の円長寺公園の近くに保存され、市民ボランティア団体『旧別府鉄道キハ2号を守る会』の皆様の手により熱心な維持メンテナンス作業が続けられて大切に保存されています。

              別府鉄道廃線当時に私(誉田 勝)が執筆寄稿した記事は鉄道ピクトリアル誌に掲載されました。

              (昭和59年5月1日発行 鉄道ピクトリアル5月号 通巻432号 執筆記事)

              記事はこちら↓クリックでオリジナル原稿をお読みいただけます。

              別府鉄道終焉の記(鉄道ピクトリアル掲載)

              (公財)交通文化振興財団 事務局ブログ

              旧別府鉄道の保存車両(その1) [2019年02月01日(Fri)]

              https://blog.canpan.info/koutsubunka/archive/119

              旧別府鉄道の保存車両(その2) [2019年02月08日(Fri)]

              https://blog.canpan.info/koutsubunka/archive/120

              撮影写真はすべて 誉田 勝(こんだまさる)

              テレビ猪名川アーカイブスは今後もお客様秘蔵の貴重な懐かしの映像や写真をデジタル化をしてまいります。

              テレビ猪名川アーカイブスではこれら貴重な映像や写真の出版物や放送用資料映像としての素材提供も行っています。

              アナログの動画、写真のデジタル化、素材提供、使用など各種お問い合わせは

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              (テレビ猪名川アーカイブス)

              #別府鉄道 #鉄道 #アーカイブス #加古川市 #キハ2号 #テレビ猪名川 #旧別府鉄道キハ2号を守る会

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                ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)思い出の能勢電車グラフティ

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                テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)思い出の能勢電車グラフティ、我が地元の懐かしい能勢電鉄の姿をご紹介します。

                妙見線を行く320型、まさにこの時代から阪急の旧型電車の動く博物館のような路線でした。

                長閑な妙見線風景が古い旧型電車とのマッチングが最高な路線でした。

                こちらも元阪急の610型(元阪急昭和28年ナニワ工機製)

                妙見口駅へ進入する320型(元阪急昭和10年川崎車両製)

                今も昔もたたずまいが変わらない妙見口駅

                ここにくると昭和がそのまま真空パックで残されている風景です。

                次に平野車庫での古参車両をご紹介します。

                但し、こちらは当時の車庫の風景で、今の平野車庫は当時と大きく変わっています。

                こちらは非貫通の610型

                現役時代の500型(元阪急昭和18年川崎重工製)平野車庫にて

                320型や500型はMG(電動発電器)を搭載していなかったため、当時き電区間で車内照明が消えるのがとても懐かしい光景でした。

                かつての川西国鉄前〜川西能勢口間で活躍した30型32号(大正15年5月日車製)、60型60号車(昭和29年12月ナニワ工機製)の廃車体、平野車庫にて

                60型 61号車(昭和29年12月ナニワ工機製)

                こちらは高架化前の川西能勢口能勢電ホーム

                懐かしい現役時代の50型、51型(昭和28年8月ナニワ工機製) 川西能勢口駅にて

                610型 山下駅にて

                開業100周年のレトロなカラー(2種)の1500系記念列車(川西能勢口駅)

                川西能勢口駅で開催された開業100周年セレモニー

                1500系の通過標識灯(テレビ猪名川所蔵)

                こちらは100周年記念に1500系復刻カラー(2種)編成で運行されたジャズトレイン

                車内ではジャズライブが行われました。

                こちらは1700系里山ラッピング編成で運行された2回目のジャズトレイン

                このイベントの時にはタレントの斉藤雪乃さんご本人とお母様とプライベート参加されていたのを偶然ご一緒できたの光栄でした。(川西能勢口駅にて)

                1700系のコントロールボックス(テレビ猪名川所蔵)は

                今は軽自動車のトップメーカー大阪府池田市に本社のあるダイハツ工業株式会社製です。

                ダイハツはその昔、鉄道事業部というのがあり、鉄道車両向けのディーゼル機関や車両機器を製造していた時代があります。

                クリスマスワイン電車1700系(妙見口駅にて)

                お花見電車3100系(川西能勢口駅にて)

                ビール電車1700系(川西能勢口駅にて)

                旧塗色が懐かしいレアな車両3100系

                100周年復刻カラーの1500系(元阪急電鉄2100系)

                100周年記念HMの1700系(元阪急電鉄2000系)

                里山便ラッピングの1700系(川西能勢口駅)

                おでん電車5100系(妙見口駅)

                7200系デビューイベント列車(川西能勢口駅)

                日生エクスプレス(8000系)平野駅にて

                阪急電鉄と相互直通運転の日生エクスプレス(8000系)

                阪急電鉄と相互直通運転の日生エクスプレス(6000系)川西能勢口駅にて

                すべての写真 撮影 誉田 勝(こんだまさる)

                テレビ猪名川アーカイブスは今後もお客様秘蔵の貴重な懐かしの映像や写真をデジタル化をしてまいります。

                テレビ猪名川アーカイブスではこれら貴重な映像や写真の出版物や放送用資料映像としての素材提供も行っています。

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