★★テレビ猪名川映像の2次利用によるセルフプロモーション支援について

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昨年弊テレビ猪名川で4K収録しました「ぼちぼちLIVEvol.23 in チキンジョージ」のご出演されたアーティスト「K.KING」様から嬉しいお便りをいただきました。

「こんにちは
ご無沙汰です!
お元気でいらっしゃいますか?
私のYouTubeチャンネルのチキンの動画の再生回数274回と、1日に2回以上見られており、うれしいです。
ありがとうございます!
チャンネル登録も後少しで100人になります!

 たぶん年内には私のチャンネルの最大視聴回数動画になると思います! あらためて、素晴らしい映像、ありがとうございました!」

[Best_Wordpress_Gallery id=”232″ gal_title=”K.KING WORLD”]

「K.KING」様こちらこそ映像の2次利用ありがとうございました。

「K.KING」様のYouTubeチャンネル

K.KING WORLD
チャンネル登録者数 96人はコチラ

https://www.youtube.com/channel/UCXGX2dwqrkZUXLCrmyWhtpA

テレビ猪名川では所蔵のアーカイブ映像の素材としての利用など2次利用について一定の許諾条件によりご使用をいただくことが可能となっております。

各種事業者様、個人の活動のセルフプロモーション、放送事業者様の素材映像、資料映像などにご利用をいただければ幸いです。

今までにテレビ猪名川では各アーティスト様、事業者様、テレビ局様(日本テレビ、NHK、テレビ朝日、サンテレビ、読売テレビ、関西テレビ、テレビ東京、フジテレビ)に多数ご利用いただいております。

アーカイブ映像の素材としての利用など2次利用について一定の許諾条件や利用したい映像(テレビ猪名川YouTubeチャンネル内の映像含む)などのお問合せは下記お問合せフォームからお願いいたします。

またテレビ猪名川の素材映像の買取も行っております。

(テレビ猪名川セルフプロモーション支援事業部)

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    ★★神戸の老舗ライブハウス神戸チキンジョージ40周年を応援しよう!

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    先日5月25日(月)緊急事態宣言が全国的に解除されましたが、まだライブハウスなどの一部業態の事業者は現在も営業再開の見通しが立ってないところも全国的に多く、事業撤退や閉店などをせざるを得ない事業者も出ているなど厳しい状況が今も続いております。そのような状況の中、今年創業40周年を迎える神戸の老舗のライブハウスを応援するコラボTシャツ(間慎太郎×神戸チキンジョージ‬)の販売が現在行われています。

    間慎太郎(はざましんたろう)さんとコラボの神戸チキンジョージ応援のTシャツ。黒と赤の2種類各サイズのラインナップですがもうすでに黒は完売の人気のTシャツです。


    ちなみに間慎太郎さんは、あの間寛平(はざまかんぺい)さんの息子さんで、シンガーソングライターです。

    このTシャツの売り上げは神戸チキンジョージに全額寄付されるとのことなので、記念すべき40周年神戸チキンジョージを皆様もTシャツ購入(完売必至の人気)で応援頂ければ幸いです。

    ご購入はこちらからどうぞ!↓↓↓

    https://hazamashop.thebase.in/

    [Best_Wordpress_Gallery id=”229″ gal_title=”先海伊織 歌とトーク(ぼちぼちLIVE Vol15から)”]

    こちらの映像作品は 2011年にHD(ハイビジョン)とデジタル録音で神戸チキンジョージ収録したものです。

    すでにのSNS等で先行した動画したところ、ご覧になった皆様から、このコロナ禍の中とても癒されるなどありがたいお声を多数いただきましたのでこちらテレビ猪名川公式でもあらためて公開させていただきます。

    「先海伊織 歌とトーク(ぼちぼちLIVE Vol15から)」 by テレビ猪名川 (収録時間14分49分)です。

    こちらの作品はこの時からテレビ猪名川が制作関係がすべてHD収録化や機材をフルデジタルに更新を行った記念すべきライブ収録作品でした。

    また昨年度(2019年)からこのクオリティー(映像&音声)で全国各地のイベント現場からのネット生配信(中継)・放送も可能となりました。

    西田恵美子さん 先海伊織さん

    ぼちぼちLIVEとは企画者・主催者の先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんが「阪神淡路大震災」直後から兵庫県出身の東京在住ミュージシャンが「神戸がんばーとーやんなっ!」を思いつつ「楽しもうやっ!」という言葉から始まったチャリティライブイベントで、毎年神戸の老舗ライブハウス「神戸チキンジョージ」で開催され、震災遺児支援事業を運営されている【あしなが育英会】様へに売上の一部を毎年寄附をされている20年以上も続いている素敵なイベントです。

    [Best_Wordpress_Gallery id=”230″ gal_title=”ぼちぼちlIVE in CHICKEN GEORGE Vol.21 先録り情報”]

    コチラはぼちぼちLIVE Vol21から( 2017年9月)

    テレビ猪名川代表の誉田が1998年の第5回から当時ネットで先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんと出会い、今も毎年ライブ収録でテレビ猪名川が全面的に応援させていただいています。また、このライブ収録によりテレビ猪名川の機材増強や技術力レベルアップの勉強もさせていただくなど、テレビ猪名川のこれまでの成長を支えていただいた大切なイベントです。この神戸チキンジョージ様も現在、コロナ対策の自粛要請により長期にわたって休業をされておられますが、本来であれば今年は記念すべき創業40周年なのですが、今年も10月4日には「ぼちぼちLIVE Vol24」の開催が予定されていますので、早期にコロナ禍が収束し、予定通りチキンジョージ様の40周年のお祝いとあわせて開催できてればと心より祈っております。

    (テレビ猪名川映像制作部)

    #ぼちぼちLive  #神戸チキンジョージ #阪神淡路大震災 #あしなが育英会 #先海伊織 #西田恵美子 #テレビ猪名川 #ネット配信 #間慎太郎

     

    ★★テレビ猪名川創設もうすぐ30周年開設当時の独自サーバ配信作品などを振り返る

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    インターネットテレビジョンの誉田 勝(こんだ まさる)です。平素は地域情報映像発信の弊サイト「テレビ猪名川コミュニケーションチャンネル」をご覧いただき誠にありがとうございます。

    テレビ猪名川創設(前身の北摂ガイド時代含む)してから今年でおかげさまで28年目(実は娘の誕生が創設の前年)となります。昨年度2019年度、元職の某メーカーのサラリーマンの定年退職を期に個人事業として、映像によるセルフプロモーション支援&アーカイブス事業、そして映像配信サービス委託事業などあらたな事業をスタートしてもうすぐ創設30周年が目前となってきたところでしたが、予想外のコロナ禍で、多少出足をくじかれた感がありますが、今後強みであるこの長年培ってきた映像オンライン事業ノウハウを軸に皆様のお役に立てるように頑張ってまいりたいと思いますので何卒よろしくお願いいたします。

    さて、今年2020年4月は動画配信サービスYouTubeが配信サービス(2005年4月~)を始めて15年となったようですが、弊インターネットテレビジョン「テレビ猪名川」が動画による地域情報発信を初めて行ったのは1992年からテレビ猪名川の前身サイト(北摂ガイドというサイト名で運営)池田市を本拠に活動するビデオクラブ北摂ビデオサークル(HVC)での作品公開を目的に行っていました。簡単に創設約30年(歴史?・あゆみ)を以下の通り振り返ってまいりたいと思います。

    テレビ猪名川の動画配信の原点はこの「北摂ガイド」からでした。つまりテレビ猪名川が動画配信システム(自前の独自サーバを自宅内に構築)を使って配信を開始したのが、YouTubeに遡ること12年前でした。この頃には現在と比べ物とならないクオリティの動画でしたが、動画配信を先行して行っていたことになります。

    当時はネットワークも今のような光やCATVインターネット等のブロードバンドネットワークもなく脆弱なネット環境(ADSLや通信モデムによるダイヤルアップ)でもインターネットでご覧いただけるよう小容量の動画ファイルで配信できるように工夫した配信システムです。

    <サンテレビ映像リポーター時代の取材>

    その後、「北摂ガイド」が本格的に『インターネットテレビジョンテレビ猪名川』という名称(現在のテレビ猪名川コミュニケーションチャンネル)に名称変更で開設するきっかけになったのは今から約30年前当時阪神淡路大震災(1995年(平成7)の前年1994(平成6)5月に神戸のサンテレビさんの番組の映像リポーターのお仕事を委嘱頂いたこと(兵庫県阪神地区担当)がきっかけとなります。

    最初はサンテレビさんのニュース番組向けのエリア映像取材などをやらせていただきましたが、取材映像が必ず放送に使われるという保証はございません!せっかく取材させていただいたのにボツ!では取材させていただいた皆様にはとても申し訳ないとこちらは必ず放送をするとスタンスで保険のように始めたのがこのテレビ猪名川(1994年北摂ガイドから改名)なのです。

    1994(平成6)年10月「まちかどビデオ通信局」(どんきほーて:太平かつみ、きびのだんご、大谷昌子)がスタート

    このお仕事が無かったら、今の私が無かったと思う出来事。またこれがきっかけで色々な方々と出会い、そのつながりが私の大切な財産となりました。当時はある意味怖いもの知らずの突撃取材やリポートなど、番組スタジオ出演もやってました。とまたこの名刺も大切な懐かしい思い出の1枚。そのサンテレビさんもいよいよ来年ポートアイランドにある本社社屋から神戸駅前へ移転となるとのこと。時の流れを感じますね。

    <懐かしい神戸まつり サンテレビ映像リポーターの頃>
    1995年の阪神・淡路大震災の影響で、その年の第25回開催は中止となり翌年1996年7月20日が海の日として祝日になったことから、神戸まつりはこの日を中心とした開催に移動した。その再開したばかりの神戸まつりのメインフェスティバルの(三宮)各会場の取材をサンテレビ映像リポーターとして担当させていただいた時の写真です。もう今から24年前の(私が37歳)懐かしい写真です。 ※写真撮影提供 サンテレビジョン

    自宅内に設置した当時のテレビ猪名川放送センター機器群 テレビ猪名川のネット配信の心臓部でした(現在はすべて外部サーバーを使って運用しており、動画配信も基本YouTubeを使用しております)

    地元猪名川町内でも当時地元密着でENGビデオカメラとインタビューマイクを使い土日祝日中心に地域情報の積極的な取材活動を行っていました。(40歳の若かりし頃の私です)

    当時地元猪名川町の広報誌「広報いながわ」でもユニークな活動とトップページで取り上げていただきました。

    テレビ猪名川開設初期(2003年1月)には異業種交流会(PI-JAM)のゲストスピーカーとして「あなたも開設してみませんか?インターネット放送局~2003年はパーソナル情報発信の新時代~」と題して活動事例を解説しながら講演なども行っていました。(当時44歳の私)

    ほぼ同じ時期にBS日テレの番組にCASA SONY 「個人放送局」(クリス・ペプラー& キャロル久末 出演)への電話出演などちょっと話題?の人物として取り上げていただきました。

    当時の講座の資料の一部

     

    また動画配信の実績・経験を元に一般向けに動画配信講座などを実施したこともありました。

    CATV  J-COMさんとコラボレーションしての番組作りや取材活動なども行っていた時期もありました。

    猪名川町の地元団体様と協働で企画映像制作(DVD)を行うこともありました。

    ◆テレビ猪名川 創設期作品 多田銀銅山 黄金伝説の郷

    [Best_Wordpress_Gallery id=”225″ gal_title=”テレビ猪名川 創設期作品 多田銀銅山 黄金伝説の郷”]

    こちらの作品は今から16年前(2004年7月)に取材して独自動画配信システムでインターネットで配信していた作品の一つです。

    取材を受けていただいた在りし日の鈴木盛司氏

    猪名川町へ静岡県から移り住み、1974(昭和49)年から40年近く猪名川町銀山地区に住み着いて調査を続けたトレジャーハンター鈴木盛司氏(すずきもりじし)(2012年2月没)を取材した作品(約3分)です。

    この映像約3分の容量はなんと5.5MBであったことから隔世の感があります。このような地域の視聴者へスピーディーに地域情報をお届けする形になって今年で約28年となりました。

    2006年取材当時は鈴木盛司氏は多田銀銅山史研究家であり、 文化庁登録 委保大5-1361の認定者で正式に国から「多田銀山埋蔵金発掘・調査」の許可を取って活動されていた本物のトレジャーハンターでした。

    この多田銀銅山には日本3大埋蔵金伝説の一つと知られており、埋蔵量、信ぴょう性、これまでチャレンジした人の多さで群を抜く。

    豊臣秀吉の黄金(埋蔵量ナンバーワン)が眠ると推定されており、鈴木氏の今もまだ謎のまま解明されていないのが現状である。

    <多田銀銅山の黄金伝説とは>
    1598(慶長3)年夏、豊臣秀吉が死の床についたとき、後継ぎの秀頼はまだ6歳。政権を託すにはあまりも幼く、せめてもの不安の解消策として、秀吉は勘定奉行の幡野三郎光照に命じて莫大な黄金を埋蔵させたという。それは、朝鮮出兵の軍用金の残り、天正長大判4億5千万両と金塊3万貫(112.5トン)で、場所は現在の兵庫県猪名川町の多田銀銅山の坑道内。
    もし本当なら、金の地金としての値打ちだけでも約260兆円。天正長大判は1枚5千万円もするので、これで計算したら天文学的な金額となる。
    太平洋戦争後、三重県と大阪府のある旧家から発見された埋蔵秘文書をもとに、長い間さまざまな人によって探索が続けられてきたが、まだ黄金はかけらも見つかっていない。奈良時代から銅や銀の採掘が行われてきた多田銀山には、無数の坑道があり、中には埋まっている部分や水没しているところもあるので、黄金を探し当てるのは並大抵のことではないだろう。大判4億5千万両というのはとてもありえない額だが、なにがしかは隠されていてもおかしくない。

    こちら2作品もテレビ猪名川初期の取材作品としてご覧ください。

    <地元団体様と協働での企画映像制作(DVD)作品>

    ◆「木喰のほほえみ~猪名川町から~」 HD版 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”216″ gal_title=”「木喰のほほえみ~猪名川町から~」 HD版 by テレビ猪名川”]

    ◆「猪名川ゆかりの佐保姫ものがたり」 HD版 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”217″ gal_title=”「猪名川ゆかりの佐保姫ものがたり」 HD版 by テレビ猪名川”]

    ◆「黄金伝説の郷 多田銀山」HD版 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”218″ gal_title=”「黄金伝説の郷 多田銀山」HD版 by テレビ猪名川”]

     

    <テレビ猪名川YouTubeチャンネルで当時1999年のリバイバル作品をご覧ください。>

    ◆猪名川町広根のとんど(1999年制作)

    [Best_Wordpress_Gallery id=”226″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「猪名川町広根のとんど(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

    ◆猪名川秋のイベントぶらりいながわ歴史街道

    [Best_Wordpress_Gallery id=”227″ gal_title=”猪名川秋のイベントぶらりいながわ歴史街道”]

    北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷宝山寺のケトロン祭り(1999年制作) 」 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”210″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷宝山寺のケトロン祭り(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

    ◆北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷大原野の秋まつり(1999年制作) 」 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”211″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「宝塚市西谷大原野の秋まつり(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

     

     

     

     

    ◆北摂ガイドリバイバル「猪名川町柏原の練りこみ(1999年制作) 」 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”212″ gal_title=”北摂ガイドリバイバル「猪名川町柏原の練りこみ(1999年制作) 」 by テレビ猪名川”]

    <テレビ猪名川の初の動画生中継配信番組は>

    ◆第2回屏風岩夏祭り「MC&リポート編」HD作品 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”209″ gal_title=”第2回屏風岩夏祭り「MC&リポート編」HD作品 by テレビ猪名川”]

    ◆第2回屏風岩夏祭り「猪名川木喰会さん創作紙芝居withいな坊」編  HD作品 by テレビ猪名川

    [Best_Wordpress_Gallery id=”208″ gal_title=”第2回屏風岩夏祭り「猪名川木喰会さん創作紙芝居withいな坊」編  HD作品 by テレビ猪名川”]

    こちらのイベント「第2回屏風岩夏祭り」は猪名川町商工会青年部主催のイベントでテレビ猪名川初の地元イベントの企画構成にも本格的に関わらせていただいたイベントでした。

    当時は屏風岩前の屋外イベント会場と近くにある温泉旅館の岩屋館様のご協力を得てインターネット回線を会場までLANケーブルを約50メートルひかせていただき、カメラとはルーターでWifiでつながせていただいて会場を移動しながらの生中継を行いました。

    この模様はほぼ終日Ustreamの映像配信により生配信を行った記念すべきイベントでした。

    当時のイベントMCはテレビ猪名川主催の各種イベントでおなじみのフリーアナウンサーの北川 恵(きたがわめぐみ)さん でした。

    <忘れてはならないぼちぼちLIVEとの出会い>

    ぼちぼちLIVEとは企画者・主催者の先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんが「阪神淡路大震災」直後から兵庫県出身の東京在住ミュージシャンが「神戸がんばーとーやんなっ!」を思いつつ「楽しもうやっ!」という言葉から始まったチャリティライブイベントで、毎年神戸の老舗ライブハウス「神戸チキンジョージ」で開催され、震災遺児支援事業を運営されている【あしなが育英会】様へに売上の一部を毎年寄附をされている素敵なイベントです。

    西田恵美子さん(左) 先海伊織さん(右)

    私は1998年の第5回から当時ネットで先海伊織(さかみいおり)さん、西田恵美子(にしだえみこ)さんと出会い、今も毎年ライブ収録でテレビ猪名川が全面的に応援させていただいています。また、テレビ猪名川の機材や技術力レベルアップの勉強もさせていただくなど、テレビ猪名川のこれまでの成長を支えていただいた大切なイベントです。今年も10月4日に開催が予定されていますが、早期にコロナ禍が収束して、予定通り開催できればと祈っております。

    [Best_Wordpress_Gallery id=”220″ gal_title=”懐かしのぼちぼちライブVol5 by テレビ猪名川”]

    私が最初に関わった「ぼちぼちライブVol5 by テレビ猪名川」をご覧ください。

    <直近の委託業務として~おうちでエンタメ!ミュージカル「川西の金太郎」~(特別配信)を行っています>

    新型コロナウイルス感染症対策により、子どもさん方は約3ヶ月もの間、幼稚園や学校に行けず ステイホームを余儀なくされています。
    このような時こそ、子供たちにおうちで我が町川西の ミュージカルを楽しんでいただきたいということで
    市民創作ミュージカル「川西の金太郎」 (収録時間1時間48分)を市民創作ミュージカル「川西の金太郎」実行委員会様が制作したものをテレビ猪名川が実行委員会様から委託を受けて文教目的により代行特別配信を行っております。

    詳細はこちら↓をご覧ください。

    https://tvinagawa.net/?page_id=12173

    今後はこれまで約30年間につちかった、経験や技術やICTの知識を活かして独自の最新映像配信サービスシステムも構築し、多くのお客様に利便性の高い映像オンラインサービスを提供できるようにさせていただく予定(2021年度より予定)ですのでご期待ください。

    (インターネットテレビジョン テレビ猪名川 代表 誉田 勝)

    #テレビ猪名川 #動画配信 #地域情報発信 #猪名川町 #ぼちぼちLive  #川西市 #サンテレビ #池田市

    テレビ猪名川への取材依頼、委託業務依頼、映像配信(イベント中継なども含む)映像素材提供、オンライン教育コンテンツ制作など、思い出のアーカイブデジタル変換など各種お問合せは下記お問合せフォームからお気軽にお願いいたします。

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      ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)わが青春時代の懐かしの阪急電車(はんきゅうでんしゃ)

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      テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)より。
      わが青春時代に通学で毎日利用していたのは先日こちらでご紹介させていただいた神戸電鉄(こうべでんてつ)と神戸市須磨区にある滝川高校までの通学に使っていた山陽電鉄でしたが、大学へ進学した時からは西宮市の関西学院大学まで4年間阪急電車(神戸線)通学を行うことになりました。

      こちらでは私が大学を卒業した1980年代に登場した7000系以前の車両を私の青春時代の懐かしの阪急電車として以下の通り簡単に紹介(写真・動画・音源などで)させていただきます。

      阪急6000系電車 神戸線

      ◆阪急7000系電車 神戸線

      7000系は、1980年から1988年まで製造された通勤形電車である。6000系をベースに1980年から1988年までに210両が製造され、阪急での同一系列の製造数が最も多い形式である。車体は6000系とほぼ同一で、制御装置は回生ブレーキ付き界磁チョッパ制御(東芝製)に、主電動機は複巻電動機に変更され、出力も150kW(定格回転数は1,620rpm)に増強された。
      また、6000系(旧2200系を含む)を組み込んだ編成や、6両編成の一部には8000系と連結して通常は8両編成として運用されている編成が存在する。

      阪急7000系(神戸線)と6000系(宝塚線) 大阪梅田

       

      阪急2000系電車 神戸線

      神戸線音源 2000系こちらのリンク↓よりお聴きになれます。

      https://app.box.com/s/g7dp24nvibhnm577pmw8ld1tu3sdpna3

      阪急5100系電車 神戸線

      神戸線

      阪急2800系電車 京都線

      阪急810系電車 甲陽線

      阪急2800系電車 京都線

      阪急2800系電車 京都線

      ◆阪急2300系電車 京都線

      2300系は京都線用の通勤形電車で、1960年に神宝線用の2000系の姉妹車として登場した。基本デザインは最新の1300系にも受け継がれた。2015年3月20日に定期運用を終了廃車となり形式が消滅した。55年におよぶ運行を終了した。

      阪急5200系電車  神戸線

      阪急5000系電車 神戸線

      阪急5200系電車 神戸線

      ◆阪急5100系電車 神戸線

      5100系は、1971年から製造された通勤形電車である。
      神戸線用の架線電圧1500V専用車5000系、5000系の試作冷房搭載車5200系に続き本格的冷房搭載車として製造された形式で、冷房車を各線均等に配置するために、それまで神戸線、宝塚線(神宝線)系統の車両と京都線系統の車両とで異なっていた機器類の規格がこの車両から統一され、全線での運行に配慮した設計となった。

      阪急920系電車 宝塚線

      阪急3100系電車 宝塚線

      阪急3000系電車 今津線 映画「阪急電車片道15分の奇跡」のロケに使われた編成

      阪急3100系電車 今津線

      阪急920系電車 今津線

      阪急920系電車 今津線

      今津線音源 920系他はこちらのリンク↓よりお聴きになれます。

      https://app.box.com/s/fun82zfymc76t8droszgfqxg3wtnscaf

      阪急3100系電車 伊丹線

      ◆阪急3100系電車 箕面線

      3100系は3000系の宝塚線仕様の車両で基本構造は3000系と共通であるが、主電動機が出力120kWのSE-535(定格回転数は1520rpm、許容回転数は4500rpm)に変更され、歯車比も2100系と同様に6.07で低速向けとなっている。

      ◆阪急6000系電車

      6000系は1976年から1980年にかけて126両が製造され、1985年には4両が追加で製造された。
      神宝線用に5100系の電装品に2200系の車体を組み合わせて製造された車両で、ブレーキシステムは2200系と同じく電気指令式で、運転台には2200系と同じくワンハンドルマスコンが採用されている

      現在能勢電鉄には車籍を移籍した6000系1編成が能勢電鉄線内と阪急宝塚線の運用に入っている(但し所属は阪急 平井車庫)

      阪急3000系電車

      阪急3000系電車 と山陽3050系電車

      初期の頃は山陽電鉄線須磨浦公園まで神戸高速鉄道線を介して阪急は相互乗り入れを行っていた

      ※★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)わが青春時代の懐かしの山陽電車(さんようでんしゃ)は後日記事を掲載予定ご期待ください。

      ◆阪急3000系電車

      3000系は、1964年に登場した通勤形車両である。1960年代の阪急神戸線は、神戸高速鉄道線・山陽電鉄線乗り入れの計画から架線電圧の 600 V から 1500 V への昇圧が計画されていた。これに備え、両方の電圧に対応できる「複電圧車」2021系が在籍していたが、機器の構造が複雑で保守に難があるという欠点があった。
      そこで、昇圧後は複電圧機能が不要となることから、新たに単純な抵抗制御を搭載して登場したのが3000系である。

      阪急920系電車

      阪急920系電車

      ◆阪急920系電車

      920系は、かつて阪神急行電鉄及び京阪神急行電鉄を経て阪急電鉄に在籍した通勤型電車である。神戸線での特急阪神間25分運転の開始に際し1934年から製造が開始され、その後1948年にかけて56両が製造された車両である。1982年3月の甲陽線での運用を最後に営業運転を終了し全廃された。

      ◆阪急1010系・1100系電車

      1010系・1100系は1000形の試用結果を元に設計された量産高性能電車で、歯車比の相違等から神戸線用(1010系)と宝塚線用(1100系)に区分され、1956年から1961年にかけて1010系が35両と1100系が51両の合計86両がナニワ工機で製造された。阪急引退後には能勢電鉄へ譲渡移籍した。

      阪急610系電車

      阪急610系電車 さよなら運転

      阪急610系電車

      阪急610系電車の車内

      阪急610系電車の運転台

      阪急610系電車

      ◆阪急610系電車

      610系は小型の通勤形電車である。宝塚線用として、老朽化した木造電車の車体更新の名目で1953年から1956年にかけて36両が製造され、宝塚線の輸送力増強に大きく貢献した。のちに阪急引退後、能勢電鉄に譲渡移籍して活躍したが、1700系の登場により1990年から廃車が開始され、最後まで残った610-650-630-631-661の5両編成で1992年4月19日(川西能勢口~日生中央間)でさよなら運転を実施、同編成が5月18日付で廃車された。

      [Best_Wordpress_Gallery id=”199″ gal_title=”能勢電車610系さよなら”]

      能勢電鉄さよなら運転の様子(動画)をご覧ください

       

      ◆4203型 事業用電動貨車(神宝線用)

      ◆4210型 事業用電動貨車(神宝線用)

      阪急5200系電車

      ◆阪急5200系電車

      5200系は、通勤形電車で、阪急初の新製冷房車として1970年から1971年にかけて25両が製造された車両である。1998年秋の今津南線及び甲陽線のワンマン化に伴う車両移動によって休車となり、1年ほど平井車庫に疎開留置されたのち、1999年12月から2000年1月にかけて正雀工場に回送後廃車され、型式消滅した。5200系の廃車体は、5251前頭部以外はすべて解体処分されている。5200系は冷房装置の関係で他の車両に比べて屋根高さと形状は大きく異なっている。

      ◆阪急1200系電車

      宝塚線用として当時まだ残存していた木造車である1形の代替を名目に、600形や920系といった在来車各形式から台車・主電動機・制御機器といった主要機器を寄せ集めて1010系と同様の車体を新製して1956年から1958年にかけてナニワ工機で製造された車体更新車両である。本形式は吊り掛けモーター車であり、1010系のような高性能車ではない。
      1982年の甲陽線での3連運用を最後に定期運用を離脱して順次廃車され、休車となっていた1206Fの4両を最後に、1983年に全車廃車されたレアな車両である。

      阪急6000系電車

      阪急2200系電車

      阪急2200系電車

      ◆阪急2200系電車

      2200系は、1975年に試作導入した通勤形電車である。当時における新しい技術の長期実用試験車としての役割も持っていた車両である。しかし1995年の阪神・淡路大震災発生時、今津線宝塚南口駅付近を走行中に脱線し、機器に復旧不可能な損傷を受けて電動車の2721が廃車(再使用可能機器を使って、付随車6772として再生)されたことを機に試験車としての使用を停止し、残存車は6000系に編入されることになり、本系列は形式消滅となったが現在は全車が付随車化のうえ6000系に編入されている。※阪急6000系6050(元2200系2250)

      阪急5000系電車

      阪急5000系電車

      ◆阪急5000系電車 正雀

      1960年代の阪急電鉄は、輸送力増強と、神戸高速鉄道東西線・山陽電気鉄道本線(以下「山陽電鉄」)乗り入れ計画の具体化から、神戸線の架線電圧を当時の600Vから1500Vに昇圧する事を予定していた。それに備えて双方の電圧に無改造で対応できる複電圧車の2021系が在籍していたが、しかし3000系と同様、1967年に行われる昇圧以降の600V対応機能の不要による単電圧化、および居住性や乗り心地向上のための足回りの改善を眼目に新たに設計したのが5000系で、合計47両が製造された。

      ◆阪急810系電車 正雀

      810系は通勤形電車で、神戸線及び宝塚線用として1950年から1954年にかけて26両がナニワ工機(現アルナ車両)で製造された。製造時期や性能によって、厳密には810形と814形に分けられる。

      阪急2000系電車 正雀

      ◆新京阪鉄道P-6形電車(100系)正雀

      新京阪鉄道P-6形電車は、阪急京都本線などの前身となる新京阪鉄道が1927年から1929年にかけて合計73両が製造され、以後の変遷によって京阪神急行電鉄に帰属した電車である。「100系」とも呼ばれ、また新京阪鉄道時代前半(1927 – 1929)の形式称号である。製造は、当時の主要車両メーカー4社(汽車製造、日本車輌製造、川崎造船所、田中車輌)で行われた。

      阪急1600系電車 正雀

      ◆阪急1300系電車 正雀

      京都線初の高性能車として1957年から1961年にかけて16両がナニワ工機で製造され、1983年に4両編成3本に組み替えられて嵐山線運用にも転用されたが、この際余剰となった1307・1308は以後使用されないまま1986年に廃車解体され、残る12両も1987年までに廃車となり形式消滅した。(新1300系は形式番号継承)

      阪急6300系電車 正雀

      阪急6300系電車 運転台 阪急ワンハンドルの最初の形式です。

      阪急3300系電車 正雀

      ◆阪急3300系電車 正雀

      3300系は京都線・千里線用の通勤形電車である。
      1967年から、京都線・千里線仕様車として製造され、大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)6号堺筋線への相互直通運転計画から、「民営鉄道標準車体」と呼ばれる車体で製造されたが、車体各所の設計は、ほぼ同時期より神宝線向けに製造を開始した5000系と共通化されているが、神宝線へは民営鉄道標準車体では車体幅が車両限界に抵触するため、入線不可能となっている。

      ◆阪急5300系電車 正雀

      5300系は1972年に登場した京都線・千里線用の通勤形電車である。初の神宝線・京都線共通規格車5100系相当の機器と、3300系の大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)堺筋線乗り入れ対応の「民営鉄道標準車体」とを組み合わせた京都線専用車両である。
      5100系と同様に当初から集約分散式冷房装置を搭載しているために冷房風洞分だけ屋根が3300系より高く取られ、前面には3300系を踏襲して手動式小型方向幕と側面にはは3300系と同様に電光式列車種別表示装置が設置された。

      撮影はすべて 誉田 勝(こんだまさる)

      ※車庫での撮影は当時関西学院鉄道研究会の見学・撮影会で許可を受けて撮影いたしました。

      ※ここに掲載されていない320系、500系については、そのあと能勢電鉄で移籍活躍した610系についても

      ★★テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)思い出の能勢電車グラフティ https://tvinagawa.net/?p=10574 

      をご覧ください。

      今後テレビ猪名川アーカイブス(所蔵)「わが青春時代の懐かしの阪急電車(はんきゅうでんしゃ)」他、「懐かしの現役時代の鉄道」をシリーズ化(今後)してポストカードとして、映像はDVDとして商品化(テレビ猪名川ネットショップ限定)を予定しております。ご期待ください。

      テレビ猪名川アーカイブスは今後もお客様秘蔵の貴重な懐かしの映像や写真をデジタル化をしてまいります。

      テレビ猪名川アーカイブスではこれら貴重な映像や写真の出版物や放送用資料映像としての素材提供も行っています。

      アナログの動画、写真のデジタル化、素材提供、使用など各種お問い合わせは

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